2013.3.11 あれから2年

2011.3.11の東日本大震災から今日で丸2年。テレビ番組やネットでも当時のことを特集しているものが多くて、いろいろと思い出させられます。

震災のあったあの日、どこで、何をしていたか。この時期になると鮮明に思い出されるもので、私はそのとき門前仲町付近を歩いていたのでした。たまたまその日休みで、ガラケーからauのスマートフォン、IS05に機種変して(しかも確か発売日!)、その足で清澄白河あたりを散歩しつつ、門前仲町へ向かって歩いていたのでした。

揺れが襲ってきたときは、はじめ何が起こったのか全く分からず、ただ皆、なぜか上を見上げていました。つられて自分も見上げてみたところ、眩暈が起こったような感覚と、ぶらぶらすごい勢いで揺れる伝線。え、これもしかして地震?と思ったときには激しく揺れだし、古いビルから壁面が崩れ落ちてきたり、道路中の車がストップしたり。長い時間でした。訳が分からぬまま、門前仲町の地下鉄駅に向かったところ、運休復旧見込みなしのアナウンス。とはいえこの時点では、当日中に復旧するだろうと思っていました。
歩いている途中です、これはとんでもない事態だと気がついたのは。ワンセグで津波の映像を見て、絶句しました。これは本当に日本で、東北で起こっていることなの?と。とにかく家に帰って状況を把握しないと!とヒールの靴で必死に歩きました。約25キロの距離でした。たまたまこの日に機種変したスマートフォンに救われたと思いました。知ってるみんなが、知らないひとたちがSNSなどを通じて応援してくれて、なんとか歩いて帰って来れた。

帰ってみたニュースの映像の数々。良く知っている場所が、知らない景色になっていたこと。たまたまではあるけれど、自分がつい1月前まで住んでいた街の状況を目の当たりにして、ショックで自分を責めました。どうして自分は何ともなく、こんなところにいるんだろう、と。

幸いにも翌日には知り合いの無事が確認できたものの、もし自分もまだ残っていたら、残っていれば、こんなことが出来たんじゃないかとしばらくはむやみに落ち込んでいました。転職したばかりの職場でも心を開けるひとがいなくて、友達の家に入り浸ってはうじうじしてたっけ。

あれから2年、いろんなこと考えました。いろんなこともあった。成長もしたと思う。そんないまだから出来ることもあると思う。
ただ、3.11は、あの日のことを誰もが思い出して少しでも前を向ければ、向くために何ができるかを考えられればと思います。

犠牲になった皆様のご冥福をお祈りするとともに、明るい東日本の、日本の未来を想って。

黙祷。

※写真は地震の約2ヶ月前、三陸鉄道を経由して八戸へ向かったときのもの。

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